しんじるもの
ある日、母親がカルト宗教に入っている事を知る。
そこから母との対話が始まる。
宗教に入ってしまう人の気持ちなんてわからなかったけど、
自分の愛するもののために、何かしてやらなきゃという愛が、
こんなふうに蝕まれていくんだなと思った。
鬱病の息子が心配で、
その母が、宗教にのめり込んだ。
そんなぁって思った、
子供を愛している母親の気持ちがそこにあって、
それにつけ込んで宗教があった。
愛、に飢えていたんだと思う、と
宗教の仲間が言っていたけどそうならば、
私にもはまる余地はあるという事なのだろうか、どうなのだろうか。
みんな誰かに、何かに依存して生きていて
それがただ宗教だったかどうかというなら
きっと自分のすぐそばにあって
そんなに遠い世界の事ではない。
監督である、鬱病の息子が、
母親にかけている電話の中で
大丈夫だよ、あなたらしく生きればいいんだよ
と、温かく母が語りかけている。
宗教にはまる事と鬱病は、どちらが健全なのだろうか。
比べるような事ではないけれど、
なんだか宗教だけを不健康だと思っている自分こそ
なんだか不健康なような気がした。
自分の母が、カルト宗教にはまって、
その理由が、私が結婚できないとか
子供ができないとか、そんなんだったら、
すごいやだな、私は母と、対話できるだろうか。