なんて悪意に満ちた平和なんだろう


とみちが以前ブログで触れていた
江東区の辺鄙なところにある劇場
ベニサンピットへ、戸田恵子主演の演劇
歌わせたい男たち」を見にいく。
演劇の内容は何年か前から問題になっている
公立学校での式典時における国旗・国歌の義務づけに関する内容。
重そうなテーマだけれど、決してシリアスではなく
むしろユーモアたっぷりに現場の奮闘を描いている。
喜劇タッチなので、笑いを誘う場面も多い。
だけど、目の前で繰り広げられているばかばかしい奮闘は
実際に公立学校でおこっている事実で、
これで死者まで出たかと思うと、笑えないよなぁと思う。


私の卒業した高校は、普通科ではない。
都立校唯一の、国際学科。
卒業式と、入学式には、その学年に所属する生徒の国籍の国旗が
一様に壇上に飾られる。
記憶が確かならば、私が卒業した年には12か国の国旗が並んでいたと思う。
私が高校生の頃も、すでに国旗国歌法は成立していたと思うんだけど、
小中高と全て公立だったから式典での国旗・国歌については
法的義務づけの無意味な感じにあきれつつも、別にどうでもいいやと思っていた。


私は国旗にも国歌にもものすごい抵抗感があるわけではないけれど
(これが公立学校の義務教育のたまものかと思うと普通に感心しますね)
その歌を歌うことで誰かが不快な思いをする歌を
無邪気に大声で歌えるほど、子供じゃない。
なんとなくあの重々しい歌を歌う時に感じる後ろめたさ。
堂々と国旗を掲げられない、国歌を歌えないというのは、
やはりちょっと寂しいことではないかと思う。
単純に歌や旗の色を変えたからといって解決する問題ではないし
変えたら変えたでまた反発する人もたくさんいるだろう。
そう考えると日本国民である以上、
一生国歌を堂々と歌うことはできないのかなと思う。
この国に生まれ落ちたものの宿命ですかな。
時代が流れていくにつれ、実際戦争を体験した人はどんどんと減っていく。
でもきっと100年後にも、この問題は根強く残っているような気がする。

社会問題を演劇の中で取り扱ったとき、
街頭でビラ撒きをするよりも効果的な場合もあると思う。
観客は傍観者であって、役者の台詞に笑ったりする。
でもふと、笑っている何もしていない自分に気付いてドキリとする。
何となく胸に残る罪悪感、後ろめたさ。


私の母校も、このくだらない法律に翻弄された。
在籍する生徒全ての国の国旗を平等に壇上に並べていた伝統が
都の教育委員会の手で、潰された。
去年の卒業式では、国旗と都旗と校旗が舞台正面に掲げられたそうだ。
カラフルな入学式・卒業式は消え失せてしまった。
私はその反対運動の署名用の紙を手に入れたのだが、
締め切りが過ぎてしまって送れなかった(ので何ら意思表示できてない)
から、どうこう言う権利があるかどうか分からないけど
やっぱり、あの自由な学校に、厳格な式典なんて似つかわしくない。
調べてみると想像以上にくだらないことでたくさんの先生が処分されていて
本当にばかばかしいと思う。


この劇を見るきっかけになったのは
劇のフライヤーに書かれていた
この劇のロンドン公演が断られてしまったというエピソード。
日本のこのおかしな法律をめぐる一連の動きは
イギリス人には理解不能だ!と。
日本は確かに平和だと思う。
ひどく貧富の差があるわけでもないし、
夜道を一人で歩いていても、まず大丈夫だし、
電車で爆睡していても、まず荷物を取られたりしない。
でもこの国の平和って、結構もろくて
臭いものには蓋的考え方のもと、
無自覚に平和だと思い込んでいるだけなのかもしれないなと思った。


いつかまた母校でカラフルな卒業式を迎えられる日がくるといいなあ。