好きだという、思い込み


自分の好きなものはなんだろう
ということを考えた時、
なんにもポンって浮かんでこない。
好きだ!と公言できるほど
好きなものは特にない。
好きな音楽も、本も、美術も、お笑いも
たくさんあるにはあるんだけれど
「私はこれが好きです」
と、堂々と言ってのけることができない。
音楽も、全ての曲が好きなわけではないし
お笑いも、すごく好きな系統のネタが多いだけで
それはまた明日になったら変わっているかもしれないし、
今まで読みあさってきた本も、昔はすごい好きだったけど
今はもうそれほどではないものばかりだし、
ぶれずに好きだと断言できるものは何一つない。


生きている以上好きなものなんて簡単に変化するし
きっとだれしも今好きなものを一生好きなわけじゃないんだろうけど
はっきりこれが好きなんです!って言い切ることができないのは
好きだって公言してしまったら
何となく愛し続けなくてはいけないような
そんな強迫観念が存在するからだろうか。


時には思い込むことも大事なのかもしれない。
好きだと思うことでそれに対する愛着が増すかもしれないし
そうやってだましだまし生きているから
世間は愛に満ちあふれているように見えるのかもしれない。


私に欠如しているのは思い込む力かな、
そんなにいろいろ愛せないし
ってか好きなものごときにそんなに悩む必要はないんだと思うけど
頭がでかすぎて、ばかみたいにまじめなので
これが好きだ!と自分の好きなものを堂々と宣言できない。
自分に自信がないということもかなり影響してると思うけど。
自分が好きだといったものを否定されるのも恐いし
これが好きだ!と言えるほど好きじゃない気がしちゃうんだよね、何事も。


物事を断定的にとらえることが嫌いと言うのも
好きなものを特定できない原因の一つかもしれない。
好きな面も嫌いな面もあるんだけど、それでもやはり全体的に評価すれば
好きの部類に入るんじゃないかな、というものを
好き、というひとことで片付けてしまうのはなんか
その結論に至った経緯が無視されているようで嫌なんだろう。


何事も頭で考えちゃう私は
結婚はできても恋愛はできないタイプなんでしょうな。
人のことを好きだという感情も、思い込みが大切なんだと思う。
他人のことに対しても、すごく好きにならないから
別に手に入れたいとも思わないんだろうな。
少し好きくらいの感情は、あきらめられる程度の思いなのだから。


自分のことを冷静に分析すると、けっこう核となる性格があって
それに基づいて日々生きているということが分かって面白い。
天変地異でも起こらない限り、っていうか起こっても
もう私という人格の基礎は形成されていて
きっとこれからも同じように生きていくんだろうな。


唐突な愛の話でした。