やっぱりちょっと苦痛だったのだ


卒論の調査で、街に繰り出した。
街、といっても家の周りです。


私が生まれ育った街は
いわゆるニュータウンで、
私は生まれも育ちも
生粋のニュータウンっ子です。


みごとに作られた歩車分離の街で
山のようにある公園で
それはそれはありとあらゆる遊びに興じてたわんぱく時代。


生まれも育ちもニュータウンだけど
中学校に入ってすぐに、学区内で引っ越しをした。
だから、小学校まですごしていた地域に、
もう長いこと足を踏み入れていない。


何がきっかけだったかわからないけど
私はいつからか本当に自分のことが嫌いで
今でも克服していないけど
昔の知り合いに会うのが嫌で嫌で
昔住んでいた地域に足を踏み入れていませんでした長い間。
あ、べつにしこたまいじめに遭ったとかいうわけではないです。


で、きょうはひさしぶりに昔住んでいた家のあたりまで足を伸ばした。
ほんとうに、びっくりするほどあの橋が小さく見えたり
あそこにあったはずの木がなくなっていたり
で、やっぱり誰にも会いたくなくて、
人とすれ違うときはつい顔を下に向けてしまう。


私の通っていた小学校は
もはや廃校になっていて、
その門は、ひどく汚かった。
なんか、やっぱりちょっとせつないけど
だけどニュータウンにそこまでの愛着は無いので
そんなに感傷的には全くならなかった。


思ったよりも子供がたくさん遊んでいて
意外とこの町はまだ廃れていないのかもなと思った。
ってかこの街でいっしょに遊んだ友達は今も
この街で暮らしているのだろうか。


小中学校の友達とは、本気で誰とも連絡を取り合っていなくって
別にみんな嫌いだったわけではないけど
100人の中から、一生涯の友達を捜し出すのは至難の業なのだと思う。
こどものころにはいろんなことが未熟で
忘れたいことも山ほどあるから。


卒論のための写真収集だったのだけど
やっぱりちょっといろいろと感傷的になった。
とにかく日暮れまでに1枚でも多くの写真を撮りたくて
あるいてあるいて歩きまくっていたら、
もう、今、足が棒のようだよ。
しかもなんで一年で一番日が短い時期に
写真撮影をしているんだろう私は。
っていうかなんで今まで本気で何にもやってこなかったのだろう私は。
昨日2年生と話をしていて、本当に前期の私は何をしていたのだろう。
あきれる、とかそういうこと以前に、
本気で思い出せなくて哀しくなってくる。
まともに出ていたのは、早稲田のバレーの授業だけだし。
(通年なのに後期は捨ててしまったし。)


卒論の写真撮影は、意外に時間がかかって、
これは年内に絶対終わらしておきたいからもう
明日と明々後日以降は歩きまくる。
なんせ坂の街なので、チャリでもどうせ結構辛いし。
ってかチャリの鍵がどこにあるかもわからないし。


明日も歩かなきゃだけどもう
筋肉痛でどうなるかわからん。