本歌取り


銀座にある小さなギャラリー
ギャラリー小柳へ行ってきた。
杉本博司 本歌取り


杉本さんの写真は、去年の森美術館以来。
白と黒のもやりとした大きなプリントと
少々の彫刻作品。
なぜかピンぼけの写真ってついつい近づいてしまうのは
近づけばはっきり見えるのではないかという
本能的な直感が作用しているからだろうか。
ギャラリーの右手奥にあった
先端の鋭い彫刻作品(でいいんだよね?)が、
じっと見つめているとまっすぐなはずなのに
なぜか少々曲がって見えてきた。目の錯覚なのかな。


写真というものは何か明確に写っているというのが一般的で
絵画であればその絵がなんだか分からなくとも、抽象的、
という言葉で片付けられてしまうのかもしれない。
なので、写実的ではない写真
ーこういうと既に矛盾があるような気もするが、
は、そもそも作品として認められてこなかったのだと思う。
でも3次元を2次元の世界に変換してしまう写真というものが
真実を正確に映し出せるはずも無く
杉本さんの作品は、その次元の虚をついたようなものが多いと思う。
今回の作品はまあ、ふーん、っていう感じではありましたが。


本歌取り、という言葉は響きがなんか好き。
ギャラリーに彼がこの展覧会に寄せた文章がおいてあって、
「現代においてすべてがオリジナルなものなんてまず存在しない」
と言っていて、それは確かに常日頃から感じていたので、
ひとりでうんうんとうなづいてしまった。
なんだかんだで誰かにインズパイアされたり
誰かをオマージュしていたりして、無数の作品が創作されて。
いにしえの日本でも本歌取りという技法をつかって
オマージュしていたのだから現代だってもちろん。


しかしひどい雨だ。