いい加減にしよう


卒論をやらなければという焦りばかりで
破裂しそうになっていたこのごろですが、
もはや、いろんなことを諦めた。
どうせやらないならダイエットでもしていた方が
よほど身のためになりそう。


卒論の、結論は、
自分の中でもう決まった。
これは公式発表用じゃなくて
あくまで自分の中での話。


都市計画なんて理想でしかなくて
だからといってなかったら困るわけだけど
結局どこに行ったって完璧に何かを作ることなんて
できるわけない、あり得ない。
日々変わり続けるこの世の中において、
建築というものはある一定の期間そのままの形を保ち続ける
カタマリのようなもので
つまりは時代を写し出す鏡のようなものだ。
強固なカタマリはその時代を反映し
そこにかつてあった街の幻影を見せてくれる。


結局建築を学んで思ったことはたくさんあるけど
人の作り出す物に永遠なんて無くて
永続的な世界を作りたいのであれば
可変的な何かを作り出すほか無いような気がする。


たてて
こわして
の、繰り返し。


そうやって今まで
みんな暮らしてきたのだ。


そこにいろんな人の
利害とか思惑が絡んで
単純なことが複雑に見えてくる。
街を作る、とは傲慢だけれども
それはそれで涙が出そうになるくらい
すごいことだと思う。 




私はただ卒論を通じて
23年間生まれ育ったこの街を、
私のふるさとを、
肯定したかっただけなのかもしれません。


なんか、ニュータウンに対して思うことはもう
山のようにあるのですけどまあ、
それはまた、卒論とは関係ない形で
いつかどこかに吐き出そう。


宮沢さんの次の戯曲のテーマがニュータウンということで、
個人的に非常に興味深い。
新しい街がその新しさを失ったときに
そこにのこるアイデンティティってなんだろう。