伝えればいいのかよ

麻痺している、と思う。
何でもかんでも伝えることがメディアの役割なのかな。
知っといた方がいいこと
知らなければならないこと
知らなくても良いこと
知りたくなかったこと



情報は飛び続けていて
なんのニュースも飛び込んでこない環境というのは
旅をするとか自主的にシャットアウトしないと無理。
知りたくもないことを知らされて
さらし者になっているニュースの向こうを想像して切なくなる。



芸能人の娘さんがなくなられた報道で思ったことだけど、
なにも娘が死んだ事故のニュースに、
その娘が生まれたときの映像を流すこと無いじゃないかと思う。
一般人だったら、交通事故なんて新聞に載ったって10行以下なのに、
しかもひき逃げとかの事件じゃないのに。

 

つくづく芸能人ってさらし者なんだなって思った。
モー娘。もそうだけど、
泣いている映像が欲しいだけなのかな、
所詮数字でしょ?
結局泣かなかったことすらも記事にされてしまうのだ。
 


あとは今大学にマンガ学部なるものが存在していたことにも
少々びっくりしたのだし、
不謹慎を承知で書くけど
「被害に遭ったマンガ学部の生徒は大変真面目な学生だった」
という報道に何となく違和感を覚えてしまうのは私だけでしょうか。
そんなことを言い出したら
じゃあ文学部だったら良かったのかという話になってしまうが
私が勝手に違和感を覚えてしまったのは
無意識的にマンガを小説以下の娯楽だと認識しているせいなのだろう。
マンガがカタカナなのがまたなんとも言えない。
被害者をバカにしているつもりでは無いです。
被害者が書いたマンガまで報道に使ってしまうマスメディアが
少々気に食わないだけです。



事故に遭ったときに学生の通っていた学校の意見として
「大変真面目な生徒だったと聞いております」
という言葉をよく耳にするけど、
大変真面目だと評判になるような生徒って
日本に何人くらいいるのだろう。
社交辞令だけど、なんかそしたら無駄な情報だよね、
死んでしまったら真面目も何も無いけど
真面目だったとかんたんにまとめられてしまうのだ、
私が今何らかの事件に巻き込まれてもきっと
「大変真面目な生徒」
になれるのだろうな、こんなに不真面目だけど。
キレる10代のころの会見でもだれもが
「おとなしくてまじめな子」に無条件でなれたわけだけれど、
社交辞令で行われるなんの意味も持たないこれらの情報を
テレビというメディアを通して全国に伝える意味ってあるのかな。
見たくないなら私が見なきゃいいだけなんだろうけど
うっかり見てしまったものへの対処をするのは
なかなかどうして容易ではなかったりするのです。